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日本史・世界史問題|史料から考える政治・文化の基礎 第1集

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問題 1

正倉院には、シルクロードを思わせるガラス器や、中国だけでなくインド、イラン、ギリシャ・ローマなどの要素をもつ8世紀の宝物が伝わる。この事実から読み取れる奈良時代の文化の特徴として、最も適切なものはどれか。

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正倉院宝物に広い地域の材料・技法・意匠の要素が見られることは、大陸を経由した文化交流が奈良時代の日本に及んだことを示す。ただし、すべてが西方からの直接輸入品ではなく、国外の要素を取り入れて日本で作られた品も含まれる。

問題 2

『蒙古襲来絵詞』の詞書には、竹崎季長が味方を待って「証人」を立てて戦うよう勧められる場面や、参戦した武士同士が互いに証人となる場面がある。この記述から最も直接的に読み取れることはどれか。

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詞書が証人を立てることや互いに証人となることを繰り返し記す点から、軍功を認定してもらうには他者の裏付けが重要だったと読める。これは戦闘自体を禁じる記述ではなく、誰がどのように働いたかを確認する実務に関わる。

問題 3

1635年の寛永武家諸法度には、大名が江戸へ出仕し、一定期間の後に領国へ戻ることを定めた条文がある。この規定によって制度化されたものはどれか。

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大名が江戸と領国を定期的に往復する制度は参勤交代で、寛永武家諸法度に規定された。廃藩置県と地租改正は明治時代の政策であり、班田収授法は古代律令制の土地制度である。

問題 4

1925年、日本では納税額による制限を外して25歳以上の男子に選挙権を広げる法律が成立した一方、国体の変革や私有財産制度の否認を目的とする結社などを取り締まる法律も成立した。この二つの動きを併せて説明したものとして最も適切なのはどれか。

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男子普通選挙法は政治参加を広げた一方、治安維持法は特定の政治思想や運動を取り締まる仕組みを強めた。したがって1925年は参加拡大と統制強化が併存したと捉えられる。ただし選挙権は男子に限られ、男女普通選挙ではなかった。

問題 5

大日本帝国憲法は天皇が国を統治し統治権を総攬すると定めた。一方、日本国憲法は主権が国民にあり、天皇は国民統合の象徴で国政に関する権能をもたないと定める。この比較から確認できる最も重要な変化はどれか。

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条文の比較が示す中心的な変化は、天皇主権から国民主権への転換と、天皇が統治者ではなく象徴となったことである。帝国議会は明治憲法下にも存在したため、戦後に議会が初めて設置されたという説明は正しくない。

問題 6

ロゼッタ・ストーンには同じ布告がヒエログリフ、デモティック、古代ギリシャ語の3種の文字で記されていた。当時読めた古代ギリシャ語の文章が、ヒエログリフ解読に役立った主な理由はどれか。

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三つの文字で同じ布告が記されていたため、読める古代ギリシャ語と未知の文字の対応を比較できたことが解読の鍵になった。文字体系が完全に同一だったわけでも、ギリシャ語部分が文法書だったわけでもない。

問題 7

マグナ・カルタ第39・40条は、自由人を同輩の適法な裁判や国法によらず拘束しないこと、正義を売ったり拒んだり遅らせたりしないことを定めた。後世につながる原則として最も適切なものはどれか。

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適法な裁判と国法によらない拘束を禁じる条文は、統治者も法と手続に従うという法の支配へつながった。ただし1215年の文書は、当初から全住民の普通選挙権を保障する目的で作られたものではない。

問題 8

1789年のフランス人権宣言は、人は権利において自由かつ平等であり、主権の原理は国民にあるとした。この原則がアンシャン・レジームに対して示した変化として最も適切なものはどれか。

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権利の自由・平等と国民主権は、生まれによる身分的特権や王を権力の独立した源泉とする旧体制を問い直す原理だった。ただし宣言の理念が、当時ただちに全員の平等な参政権として実現したわけではない。

問題 9

初期の綿工場は水車を使うため河川沿いに立地する必要があったが、石炭を使う蒸気機関はより安定した動力を供給できた。この変化がイギリスの工場立地に与えた影響として最も適切なものはどれか。

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蒸気機関は水流に左右されにくいため、工場を河川沿いに限定する必要が薄れ、労働者を集めやすい都市近くへの立地を促した。蒸気化は機械制工場を減らしたのではなく、綿工業を含む生産の拡大と都市化に結び付いた。

問題 10

ドイツ連邦政府の年表は、東ドイツ市民の行動が政治体制を変え、ベルリンの壁を崩し、再統一への道を開いたと説明している。この過程の順序として正しいものはどれか。

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ベルリンの壁の開放・崩壊は1989年で、それが再統一への道を開き、ドイツ再統一は1990年10月3日に実現した。壁崩壊と国家統一は密接に関係するが、同じ日に完了した一つの出来事ではない。